『オデュッセイア』を少し読む
突然ですが、オデュッセイアの映画が流行っているので、『オデュッセイア』第六巻の冒頭を読んでいきます。おそらく八行くらいで力尽きると思います。
Ὣς ὁ μὲν ἔνθα καθεῦδε πολύτλας δῖος Ὀδυσσεὺς
thus the PART there lie-down.3sg.IMPF much-suffering divine Odyssey
- μὲν ..., δὲ ...「一方で〜、他方で〜」は非常にぎりしゃ語らしい表現という印象があります。これに染まりすぎて日本語でも多用するようになっちゃった。「一方で」の部分と「他方で」の部分の間にはmiddle dotが使われます。これはセミコロンや白点のような半終止の約物です。とはいえぎりしゃ語の、近代に読みやすく書き直されたものたちを読んでいると、段落の中はmiddle dotばかりですから、実質は文の終止という印象を受けます。すると、一方ではつい長くなりがちな文を短く切って調子を整えながら、他方では文と文のつながりを維持することができるというわけで、非常に便利です。日本語でも実践したくなりますね(今しなかったじゃんとか言ってはいけない)。なおこれらは二語目にくる単語で、この位置にparticleをもってくるのは非常に保守的な印欧語の特徴です。ロシア語にはいまでもこのようなparticleがあり、格変化以上に、そういうところにかの言語の保守性を感じます。
- καθεῦδεの一人称単数現在はκαθεύδωです(欧州の古典語では一人称単数現在が辞書を引く際の基本形とされています)。私はくそ雑魚なめくじなのでこの単語は知らないのですが、κατα「〜の下で/に」という前置詞があるので、その複合語だと推測できます。和訳を見ながらならこの単語が「寝る」だろうな〜くらいはわかりますね。さて、この時制はimparfaitですが、ぎりしゃ語の過去時制(imparfaitとaorist)は二次的な特徴としてἐ-という加音を伴うのが特徴です。ドイツ語の分離動詞と同様、前置詞と動詞の組み合わせからなる単語では、ふつう前置詞のあと、動詞のまえにこの加音があらわれるはづなのですが、この単語のimparfaitはἐκάθευδονらしい。よくわからないですね。しかしながら、verseでは加音はあらわれないので、これだけ語っておいて、『オデュッセイア』を読む上では無効です。
- πολύτλαςは、πολύς「多い」とἔτλην 「疲労」を複合語にして、形容詞として扱ったものです。πολύς「多い」を知らない人類はいないと思います。後者は知りませんでした(なめくじ……)。こういう臨時造語みたいな複合語の存在はぎりしゃ語らしさを感じます。サンスクリットほどやばくはないけどね。さて、古代ぎりしゃ語は人間の母語としては死んだ言語なので、ほかのもっとマイナーな言語(ゴート語とか)と同じく、attestedな形しか例証できません。この単語は、ここで見つかっている男性単数主格と、同属格、対格しかわからないそうです。男性なのにthematicのvowelがaですから、そういうことはないわけではないですが、やや興味深いというか、この語を知らないと修飾関係を見定めるのに自信がなくなってしまいそうな単語です。
ὕπνῳ καὶ καμάτῳ ἀρημένος· αὐτὰρ Ἀθήνη
slumber.DAT and toil.DAT worn-out. PART Athena
- 文のつづきです。四語目のあとにさきほど予告したmiddle dotがあります。
- ὒπνος「眠気」はhypnosisですからわかると思います。これこの前ὐπο+νοῦς「考え」+σιςだと思ったんですけどふつうに異分析でしたね。
- さきほどμὲνのペアといえばδὲといいましたが、早速覆されました。今回はαὐτάρがペアのようです。知らない単語。ふつうにαὕτη「あれ」になんかのparticleがついて縮約したのかと思いましたがそもそも気息記号の向きが違いました。気息記号小さすぎて見えん。濁点と半濁点の見分けもいつもできてなくてふつうに語彙の知識で補っています。
βῆ ῥ' ἐς Φαιήκων ἀνδρῶν δῆμόν τε πόλιν τε·
walk.3sg.aor then into Phaeekos.gen.pl man.gen.pl district.acc and city.acc
- βῆやばすぎ。βαίνω「歩く」のアオリストです。βαίνω自体は基礎的な単語だし、複合語にも出てきますが、アオリストがἔβηなのはまだ許せるとして、加音がなくなってβῆになるのは流石に許せません。だって加音にアクセントがあるんだもの、聴覚印象が変わりすぎです。曲アクセントはこういうへんなときに出てきがち。
- ῥ、なんかどうせἄραなんだろうなと思ったら案の定でした。でもどういう機序で気息記号がついてるのかはよくわかりません。そもそもρにつく気息記号そんなわかってない。
- δῆμον「デーモス」とπόλιν「ポリス」、世界史ですね。
οἳ πρὶν μέν ποτ' ἔναιον ἐν εὐρυχόρῳ Ὑπερείῃ,
they before PART before live.impf in spacious Hyupereia
- οἳは、のちの時代では関係代名詞、アクセントがなければ冠詞として使われますが、ホメーロスの時代では人称代名詞だったことは有名ですね。
- πρίν、ποτεとbefore系が続きますが、πρίνのほうがちゃんとした副詞で、ποτεはアクセントもないですからparticleのようなものです。なにかニュアンスを付加しているものですから、πρίνと意味の重複にはならないものか、と思料します。ποτεにはアクセントのある形ποτέもありますが、μένが重アクセントではなく鋭アクセントになっていますから、その直後に続く語はアクセントのないcliticであることがわかります。
- ἔναιονはναίω「住む」のアオリスト。あの!!verseでは加音って付かないんじゃなかったんですか!!まあマジレスをすると加音はparticleが文法化したものといわれているので詩でもparticleとしてなら全然あってもいいわけなんですが……。作り方としては語幹ναί-にそのまま副時称の語尾-ονがついているものですから極めて標準的です。アクセントが語頭に移動しているように見えますが、ほんとうはもっと前にあってほしいアクセントが、ναίωっていう単語ではもうαιより前に母音がなくて、仕方なくこの位置になっているだけなのでしょうね。これくらいはアクセント移動のうちには入りません(そしてそう考えるとぎりしゃ語は基本的にそれほどアクセント移動に苦労する言語には見えないと思います、そもそも近代において古代ギリシャ語を書くときには義務的にアクセントを標示しますから、ある程度規則を習得しないと読み書きができないわけで、かなり明示的にアクセントの話が教材に出てくるということもまたわかりやすさを助けているのかもしれません。)
- εὐρύχοροςはεὐρύς「広い」とχορός「踊り」の複合語らしいです、χορόςは初級単語ですが、ちょっとギリシャ文化を知らないとなんでわざわざこんな言い方をするのかわからないですね、εὐρύςだけで意味完結してるじゃん(知らないのでわかりません)。あといくらχορόςが初級とはいえ、εὐ-「良い」という副詞/前綴がめちゃくちゃ有名なので、圧倒的に異分析をしてしまいそうです。ぜみの先生の研究対象のいう人生の目的がεὐδαιμονίαだからというところもある。
ἀγχοῦ Κυκλώπων ἀνδρῶν ὑπερηνορεόντων
near Kyklopos.gen.pl man.gen.pl haughty
- ἀγχοῦ、ある程度の長さだし-οῦで終わってるのあまりに単数属格の見た目なのに副詞なのずるすぎです。直後が複数属格の名詞ですから、属格支配の前置詞、といいたくなりますが、アクセントがありますし、благодаряみたいなものでしょうか、と言おうと思ったらблагодаряは前置詞扱いなんですね……。
- ὑπερηνορεόντωνは、和訳では「より勝っている」という表現なので形容詞の比較級を想定したくなりますが、ὐπερέχω「より優れる、卓越する(=to excel)」という有名な表現があるので、その類の動詞であることを想定するとビンゴです。-οντῶνは能動分詞の複数属格で、めづらしく簡単に辞書形ὐπερηνορῶが想定できるな、と思ったら、この動詞はunattestedらしいです。importantが残ってto importが廃れたようなものですね。
οἵ σφεας σινέσκοντο, βίηφι δὲ φέρτεροι ἦσαν.
REL Acc.3pl harm.impf.mp, violent PART better COP
- こんどのοἵは関係代名詞っぽいですね(両者は連続的なものですから、無理に分類しようとするのはナンセンスですが)。
- σφεῖς, σφεας「彼ら」が思い浮かばなかったの切腹すぎる、代名詞じゃん……。とはいえ古典語の代名詞は日本語に似てあまり発達しておらず、代わりに指示代名詞が使われたりするので、あまりこれを見る機会もない、という言い訳に言い訳を重ね……。
- -οντο、中受動態の語尾ですね、これも思い出せず介錯が必要とされます。基本形はσίνομαι。
- βίηφιはβία「暴力の」の詩形・イオニア方言形の複数与格。?????????? φどっから出てきたんですか?????????
ἔνθεν ἀναστήσας ἄγε Ναυσίθοος θεοειδής
then raise-up.aor.part do.impf Nausithos godlike
- ἀναστήσας < ἀνίστημιは、ἀνα「上に」とἰστηεμι「立つ」の組み合わせで、初級の語彙からなる複合語がそのままの意味になる、大変うれしい単語です。ἰστημιとἰημιはμι動詞の導入としてよく使われるし。
- θεοειδήςもθέος「神」とεἶδος「形」がともに初級単語なのでいい話です。むしろ意味はわかっても訳しかたに困るかも。εἶδοςはよくその抽象名詞ἰδέαで知られます。
εἷσεν δὲ Σχερίῃ, ἑκὰς ἀνδρῶν ἀλφηστάων,
place.aor PART Scheria.DAT, after man.gen.pl living-by-toil.gen.pl
- εἶσενはἵζω「座す」らしい。εἶμι「行く」かと思ったんですが、これはεἰσάμενらしいです。
- Σχερίῃは前置詞ἐνなしで「〜で」になっていますね。ただ与格を取っているだけです。古いからなのか、詩だからなのかはわかりません。
- ἀλφηστάωνも口語ならἀλφηστῶνになっているはづですが、詩だからでしょうか。普段活用形を考えるときは必死に縮約のことを考えていますから、縮約されるはづの-αω-とかいう並びがあるとへんな感じがします。
詩なのでここで文が切れるわけではないのですが、このあたりで力尽きたので、今回はここまでにします。今回はJSでグロスをいい感じにしてみました。グロスをどういい感じにするかは永遠の課題ですね。もう少し研究してみます。なにかいいアイデアがあったら教えてください。
追記:この記事を執筆中に後から有能サイトを発見しました:Humanitext Reader